「木村花さん死去」
昨日夕方頃、ニュースを見て一瞬でフリーズした。テラスハウスをずっと見ていて明るい笑顔たくさんの彼女を見てきたので余計に衝撃的でした。
いつも朝起きてinstagramをさらーっとスクロールするのだが、昨日の朝花ちゃんの投稿も目にしていた。猫ちゃんとの2ショット写真だということは分っていたが、文字をしっかり読んでいなかった。それが花ちゃんの最期の言葉なんて思いもしなかった。
ニュースを見ても信じられなくて改めて花ちゃんのinstagramを見てみる。「愛してる、長生きしてね。ごめんね。」と。花ちゃんのSOSサインに気づけなかった。
心にぽっかりと空いた喪失感が昨日からずっと抜けない。いち視聴者で花ちゃんとは会ったこともないけど、テラスハウスへの変な感情移入からか勝手にメンバーの一人のような気持ちでいた。
テラスハウスの最大の魅力である他人の普段見られない生活が見ることができる環境が、良くも悪くも視聴者に変な感情移入を持たせてしまった。そして生活の一部を30分に短くまとめられて見せられているものを、すべて見ているような気になってしまっていたのかもしれない。
マツコ・デラックスさんが前に「(100人中2人の批判を)98人の普通に応援している人はわざわざ“頑張れよ”とは書き込まない」と言っていた。本当にその通りで昔、不動産で働いていた経験を通しても、わざわざ「ありがとう」と連絡してくる人はいなかった。
相手が見えないことを良いことに、人の人格までも否定するような悪質なクレームや、わざわざ専用アカウントを作成し姿を見せずに傷つけるような書き込みは理解ができない。クレーム対応をしてきて思うのだが、実際足を運んでそういう人に会いに行くと居留守を使って姿を見せない人や急に丁寧になり柔らかい対応になる人ばかりだった。
私は98人の普通の人であるが、少しでも花ちゃんに思いを届けていればと後悔した。「花ちゃんの明るい笑顔が好き」「とてもまっすぐで仲間と向き合う熱い気持ち」「人の気持ちを理解してあげられて寄り添う優しさ」少なくとも30分にまとめられた映像の中で見える花ちゃんの良さを、直接伝えてあげたかったです。
数時間前までinstagramを更新していた方が、もう二度と会えない存在になってしまう。死がこんなにも隣り合わせで、ヒトの死に対してあまりにも無力であることを実感させられる。
花ちゃんのニュースは不動産会社で働いていたときに起きた管理マンションでの飛び降り自殺の件を思い出された。人が数時間前まで生きていた証拠があるのに、もう二度と戻ってこないということが信じられなかった。年も近く、遺品を整理しに来る両親のことを思うだけでも本当に悲しかった。
救えたかもしれない命が救えなかったということがとても悲しい。周りのちょっとした変化に気づいてあげることは、周りにいる人たちを守るためにとても必要なことだと思った。優しい感情を持ち、素敵な言葉が思うだけでなく発せるような人になりたいと思った。難しい時もあるけど人の死が意外と近くに存在すること。永遠に続く時間はないということを思うと今すぐにでもしていかなければいけないと思った。
花ちゃんが最期に乗せたストーリーが笑顔だったこと。死を目の前にしないと、その感情は誰にも分らない。どういう感情だったのか悲しい感情ばかり想像してしまうが、覚悟や強い意志のようなものを感じた。管理マンションでの飛び降り自殺の時にも管理会社として直前の防犯カメラの様子を確認したが、自殺する人とは程遠いような印象だった。
花ちゃんがTwitter に投稿していた「音楽があって、あったかくて、家族と大好きな人達と素敵な人達がいっぱい出てきて…試合をしていて、たくさん笑っていて…今までの幸せとこれからの幸せが沢山詰まった夢を見ました。とにかく幸せだった」とのように、誰にも邪魔されることなく、たくさん笑っていて欲しいです。
安らかにお眠りください。心よりご冥福をお祈り申し上げます。
Rest in Peace Hanachan. With love...